水平な天秤上のブログ

童貞の部屋。現在、ラノベの感想しか思いついていない。

初めまして

「ペンは剣よりも強し "The pen is mightier than the sword"」

この言葉は英国の作家であるエドワード・ブルワー=リットン1839年に発表した歴史劇『リシュリューあるいは謀略』の中の一場面において初めて登場したと言われる言葉である。
原義として、歴史劇内においては直接的な暴力よりも情報等の媒体の方が人々に多大な影響を及ぼすことができるということである。
転じて、言論は暴力よりも人々により強く影響させることが出来る等の言い換えがなされている。

このような言葉は古来より存在している。

「神の言葉は両刃の剣よりも鋭い」と新約聖書に書かれ、「剣をつけた多くの者がガチョウ羽のペンを恐れる」と有名な劇作家であるシェイクスピアハムレットに残したと言われている。


<言葉>に人は重きをおくことの重要性を誰よりも認識していなければならない。

暴力や権力。全てを収束すればすべて<言葉>に行き着くと私は信じている。<言葉>は人類が勝ち得た最大の幸福のツールでなければならないのだ。
<言葉>によって人が人を傷をつけたり誹謗中傷しているところをよく目にする。
その人たちをみるといつも思う。「人は何故言葉という道具=ツールを人が発展していくのに使わずに人を貶める、貶す、謗る。多くの負の方向へと使うのか。」と。
生物は周りの環境に対応出来なくなれば淘汰され、その存在は消されてしまう。

だが人類は後に人類と同じ生命体、もしくは人類と同じ進化を辿って成長した人類とは定義出来ない知的生命体が滅びた我々を知ったとき、私達の事を嘲笑うだろう。「人類というものは自分たちが作り上げた<言葉>という最高のツールによって自分たちで絶滅の道を選んだ。」と。

<言葉>は道具にすぎない。だが、その道具は0から∞を生み出すことが出来る。マイナスの無限大をも生み出すことが出来る。マイナスを生み出してそれは正しいのか?正しさを追求すれば良いというわけでもないが道具は賢く使うべきであろう。

私は少しでも∞を生み出せる役割、歯車の一部になれればそれでいい。



Que sais-je?

私は何を知っているのだろうか。その答えなど出すことなどは不可能。その答えが出るというのであれば私達は新たなステージに進むことになるであろうことは自明の理である。

以上。



…………とまぁ私はこんな面倒な人間ですが書いていく内容は普通のブログなのでご安心を。では~